2000年に長野県知事に初当選した田中康夫元知事に参院選で再び注目が集まっています。
皆さんは記憶にございますでしょうか?田中康夫さんが長野県庁に初登庁の日に、企業局庁(県庁幹部)に挨拶に行った際に名刺を折られてしまった出来事です。テレビでも連日報道され、その幹部の評判が一気に下がり、最終的に幹部は辞職しました。
田中康夫さんが当選する以前の県政は、一部の県幹部と県議とで県民の見えないところで物事が決まり、進められていくという不満に、田中さんは応え、県民との直接の繋がりを重視しました。県民との座談会や知事に直接届くメールアドレスを公開し、県民の声を直接判断し、知事からトップダウンする手法を取りました。
県庁OBが知事になることが続いた長野県政では、異色の田中康夫知事の誕生でハレーションが大きかったのは事実です。官僚体質の組織風土が長く続いたので、当然かもしれません。どんな立場の相手の名刺でも折ってしまっては、いけませんし、これまでの県庁の体質を象徴したように報道され、県民だけでなく国民の多くの関心を呼び、田中さんも世論を味方に付けて、県庁の改革を進めて行きました。これまでの知事が県庁の代表というイメージに対して、田中さんは県民の代表というイメージたったのではないでしょうか。長野県政従来の調整型の知事ではなく、県民の声を直接政策に反映させる知事として、全国的にも注目を浴びました。
また、政権交代を果たした際の民主党の『コンクリートから人へ』を約10年も前に先取りしていました。そうです。『脱ダム宣言』です。田中知事は、公共事業の大幅見直しによる財政再建に尽力し、長野県の財政を立て直したことは評価に値するのではないでしょうか。しかしながら、15年も前のことですので、18歳選挙権による若い世代の方々はリアルタイムでは知らないことと思います。東京選挙区は大混戦ですし、都知事選の影響も受けますので、選挙結果が注目されます。